レンドル最強説&フェデラー最強説blog

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2015年、ハンブルグ大会

ウィンブルドン後は例年小休止となります。
今年もそうなのですが、マスターズ1000まで何もないのもあれなので
今週行われるマスターズ500大会、ハンブルグを取り上げてみたいと思います。

少し前からテニスを観ていた方はご存知だと思いますが、2008年まで
ハンブルグ大会はクレーシーズン、マスターズ1000の3連戦に組み込まれていた重要な大会でした。
その後2009年に、ポジションをマドリードに譲り渡す形でマスターズ500に格下げされてしまいました。
時期もウィンブルドン後の極めて地味なポジションに追いやられてしまっています。

ただ、その歴史は素晴らしいものがあります。

最初の開催は1892年でした。
あのチルデンが生まれるよりも前のことです。
当サイトでは歴史はチルデンからスタートしていますので
それより以前というと先史時代になります。

当時は、大会に自国以外の選手が多く参加することは稀なので
基本的に優勝は地元選手によって占められることになります。
同大会も例に漏れず黎明期はドイツ選手の優勝で占められていましたが、
その後、先史時代の偉大な選手であるイギリスのジョシア・リッチー(1908年ロンドン五輪金メダル)や
フランスのマックス・デキュジス(全仏優勝8回。ただしいずれも国際化以前)が優勝していたりします。

その後第二次大戦前後となると、ゴットフリート・フォン・クラムが複数の優勝を果たしています。
この辺りから優勝者の面々もグランドスラム上位で顔を見せるお馴染みの選手となってきます。
ドロブニーやバッジ・パティ、ルー・ホードなどの名前が確認できます。
アマチュア最強時代のロッド・レーバーも1961-62年にかけて優勝しています。

そしてご存知、1968年にテニス界にはオープン化の波が押し寄せるのですが
ハンブルグは、最初の年に公式大会に採用された数少ない大会の一つにもなりました。
グランドスラムに次ぐポジションとしてエリート街道をひた走ってきた大会だったのです。

1968年のオープン化元年から3年連続で第1シードの優勝が続きました。
(ニューカム、ローチ、オッカー)如何にも正当な大会らしい歩みです。

ただ、基本的にクレーの大きな大会として進んできてはおりますが
1970年代には少しおとなしさを感じさせるようになります。
原因は何といってもボルグとコナーズの不在です。
両者はほとんどこの大会に出ませんでした。
もう一人付け加えるとしたら、1976年全仏王者のパナッタもほとんど出場していないようです。

それでも、ビラス、ナスターゼ、コデス、オッカー、オランテス、ディブス、ヒゲラス、ソロモン、ペッチ、フィバックなど
エントリー選手の顔ぶれを見ると、70年代を代表するクレー巧者たちがずらりと並んでいるので、
むしろボルグを除いた70年代のクレー勢力図がどうなっていたかを見るのに好都合の大会だったと言い換えてもよいでしょう。
こうなると、ビラスの一人勝ちなのかと思いきやそうでもなく、勝つ選手の顔ぶれがまちまちなのが面白いです。
後のムスターやナダルの勝ち方が例外すぎるだけでクレー巧者同士の対戦というのは往々にしてこういうものなのでした。
この中ではエディ・ディブスが優勝3回と比較的この大会と相性が良かったようです。
ディブスはコナーズの1歳年上に当たりますが両手打ちバックハンドを使った選手です。
最初期の両手バックハンダーと言ってよいでしょう。
レンドルが出てくる前まで、クレーで強い球を打つ選手といえばソロモンとディブスという印象でした。

さて、ほとんど出場していないボルグとコナーズですが、
それでもハンブルグは両者にとって重要な大会となっています。

まずボルグですが、唯一の出場は1979年大会でした。当然第1シードでの出場です。
最初の方は順調に勝ち進みますが、準々決勝で敗退してしまいます。
相手はテルシャーでした。スコアは「1-4 RET」。
つまり、ボルグが「4-1」とリードした状態で怪我のために棄権したというものでした。
実はボルグはこの前にクレーコート46連勝を果たしておりまして、更にこの後にも32連勝を続けます。

もしもこの試合に勝っていたなら実に79連勝という記録を打ち立てたことになるのです。
この2年前にビラスが達成したクレーの連勝記録が53連勝ですから、
実質ボルグはビラスを遥かに超えているではないかというのが当時のボルグファンの声でした。
ボルグのこの実に惜しい記録の担い手になってしまったのがこの大会だったのでした。

さて、続いてコナーズの場合です。1981年にコナーズは決勝にまで進出します。
コナーズといえば、どのコートもこなすオールラウンダーとして広く認識されています。
クレーコートでもタイトルは12あります。
しかし、実際にはこのクレーのタイトルはいずれもアメリカのグリーンクレーの大会であり
現在一般に開催されているヨーロッパのレッドクレーの大会ではありませんでした。
もちろんハンブルグはレッドクレーの大会です。
グリーンクレーはレッドクレーよりも球足が速く、地元アメリカで多く開催されてきたというのもあって
コナーズにとっては非常に相性の良い大会でした。

コナーズのクレー勝率は77%であり、当サイトの苦手コート勝率として最上位にランクされています。
しかし、内容を精査してみると、グリーンクレーでは実に82%もの高勝率を叩き出している反面、
レッドクレーでは67%の勝率しかないという裏のデータが存在しています。
厳密にクレーを二分割するとなると、コナーズの苦手コート勝率は
レンドルのグラスやボルグのハードよりも低い勝率となっているのです。
いや、レンドルやボルグどころではありません。
エドバーグのクレー勝率(68%)やベッカーのクレー勝率(66%)程度にまでも落ちてしまうのです。

さて、そんなコナーズですが、1981年に2つのレッドクレー大会で決勝に進出します。
モンテカルロとそしてこのハンブルグでした。
1981年といえば既にボルグ、マッケンロー時代に移行していてコナーズは第3勢力に落ちてしまっていました。
しかしそのようなときに苦手なレッドクレーで初めて、しかも立て続けに2回、決勝に進出したのです。
まずモンテカルロの方、決勝の相手はビラスでしたが第1セット「5-5」となった時点で
雨のため試合が中断され、結局そのまま再開されることはありませんでした。
記録上は決勝にまで出たものの勝ちも負けも付かないという中途半端なものとなってしまったのです。
すなわち、その後のハンブルグが唯一の勝敗のついたコナーズのレッドクレー決勝記録ということになります。
決勝の相手はマクナマラでしたが4セットで敗退してしまいました。
コナーズvsマクナマラ戦の対戦成績はコナーズの3勝1敗で、ハンブルグがコナーズの唯一の敗戦でした。
ボルグ同様コナーズにとっても同大会は惜しい記録の担い手となってしまったのです。

因みに翌1982年のコナーズですが、再度第1シードでエントリーしています。
この時、第2シードはテルシャーでした。ボルグに曲がりなりにも土をつけた選手です。
それぞれが勝ちあがれば話題の人同士の対決となったのですが両者ともに決勝に行かずに敗退しています。

参考までに、コナーズが思ったほどレッドクレーで勝っていないという件ですが、
データ上からも明らかな事であり、正しさを持った内容であることは間違いありませんが、
70年代の一番強いときにレッドクレーの大会自体にほとんど出なかったというのもまた事実としてあります。
結局は苦手だったんだから出たって勝たなかったかもしれないではないかと言われればそれまでなのですが
さすがにコナーズだったらもしも積極的に出ていたら少しは勝てたんじゃないかなあと思えなくもありません。
まあこの辺はIFの世界ですのであれこれ言っても仕方がありませんが。

このレッドクレーとグリーンクレーのデータ差ですが、一般に語られることはほとんどありません。
現在グリーンクレー大会が存在しないというのも大きな理由の一つで、
最近の選手に適用できないデータになってしまうというのが難点ではありますが、
それでもやはりデータサイトとしては一度しっかり取り上げてみたいと考えています。
(確か随分前から考えているはず・・・あれから早数年、いつになったらできるのか、すいませんすいません)

70年代の語りが異様に熱くなってしまいました。
その後についても続けていきましょう。

80年代も引き続きやや地味な大会としての開催が続きます。
ボルグやコナーズに相当する選手であるレンドルやマッケンローがあまり出なかったのが原因といえましょうか。
それでもレンドルは80年代後半には2度優勝していて王者の面目を保ってくれていました。
80年代の主な優勝者はノア、ルコント、メチージュ、ケント・カールソンなど、まあまあの選手が揃っていますが
ビランデルやベッカーなど上位シードが優勝しなかったのもあり、大きな大会にしては地味な印象にとどめられています。
特に地元のベッカーは期待度が高く、第1シードでのエントリーも多かったのですが、思うように勝ちあがれませんでした。
決勝進出も1990年の1回だけで、その時は当時26位のスペインのアギレラに敗退しました。
アギレラは生涯タイトル僅か5個の選手ですが、ハンブルグでは1984年と90年の2回優勝しています。

90年代以降では、92年-93年にかけてエドバーグ、シュティッヒと
いわゆるクレーを得意としているわけではないネットプレイヤーが連覇しています。
古く60年代にはオーストラリア勢が多く勝ってはいたのですが、
クレー巧者が幅を利かせるようになった70年代以降で、しかも大きなクレー大会としては
純正のネットプレイヤーの連覇というのは珍しいです。
特にシュティッヒは92年に準優勝、93年に優勝と、ベッカーが果たせなかった地元選手としての活躍を見せています。

その後では、コスタ、リオス、クエルテンなどクレー実力者の優勝もありますが
何といっても目立つのはメドベデフの3度の優勝でしょう。
90年代半ばには、いずれクレー大会はメドベデフが席巻するのではないかとも言われていました。
そんなメドベデフでしたが、今にして思えば70年代のディブス、80年代のアギレラに続く、
ハンブルグに強かった選手の90年代版という形になってしまっております。

さて、これほどの長い歴史を誇る大会ではありますが、
このハンブルグ大会の存在感を高めたのは誰あろうロジャー・フェデラーではないでしょうか。
2002年に初優勝して以来、実に4回の優勝を飾っています。
初優勝の翌年である2003年こそ早いラウンドでフィリポーシスに敗れましたが(この年のウィンブルドンの決勝の顔合わせです!)
その後は2004年、2005年に連覇、2006年の欠場を挟んで2007年に優勝、そして2008年には準優勝と好成績を収め続けました。

2006年の欠場は実は直前になっての欠場発表でした。
というのもこの時はローマ、ハンブルグと2週連続でマスターズ1000が開催されていて、
直前のローマではナダルとフェデラーは激しい5セットマッチの決勝が戦っていました。
その時のローマ決勝のスコアは「6-7 7-6 6-4 2-6 7-6」フルセットタイブレークという
両者対決史上でも最も壮絶な試合の一つでした。
これにはさすがの両者も疲労困憊で、ハンブルグは欠場ということになりました。
もちろん、フェデラーだけでなくナダルも欠場しています。

翌2007年の大会というのがまた歴史に名を刻む重要な大会となりました。
同じように上位2シード、フェデラーとナダルの決勝が行われたのですが
この時のナダルは実にクレーコート連勝81というとんでもない記録を樹立している最中でした。
この81連勝というのは先述のボルグの幻の記録をも「正当に」上回っている奇跡の記録です。
そしてこのナダルの連勝に終止符を打ったのが大会決勝のフェデラーだったのです。

翌2008年はナダルが雪辱を果たしました。
もうこの当時、クレーの大きな大会の決勝で
ナダルとフェデラー以外の組み合わせなどありえないという状態だったといえます。
さすがはテニス史上最も長く、そしてテニス史上最も他を圧倒した2強時代といえますが
ただ、少しの違いを確認することもできます。
前年2007年のナダルの準決勝の相手はヒューイットでしたが、
2008年のナダルの準決勝の相手はジョコビッチでした。
2強の絶対時代は続いていましたが、下の方では少しずつ変化が始まっていたというのがわかります。

残念ながら2008年をもってハンブルグはマスターズ1000から降格となってしまいました。
時期もウィンブルドンの後となりました。
これからハードシーズンを迎えようという中でのクレー大会とあっては
より一層トップ選手は出場を控えるようになってしまったのが残念です。

ただ、2013年にはフェデラーがエントリーしています。
この年のフェデラーはトップに上り詰めてから最もランキングを落とした年に当たります。
ウィンブルドンでも、あろうことか2回戦敗退を喫してしまっていました。
このような時にこそ小さめの大会でコンディション調整を行いたいというのもあったでしょうし、
かつて相性の良かった大会ですから気持ちを取り戻したいということもあったのかもしれません。

そして今年、同じような状態に陥っているナダルがエントリーしています。
ナダルの状態は2013年のフェデラーよりもさらに深刻ですが、
ここで少しでも調子を取り戻してくれると嬉しいです。
ただ、初戦いきなりベルダスコとの対戦が組まれています。

第2シードはロブレド、第3シードはバウティスタ・アグー、第4シードはセッピとなっています。
さすがにクレー専門家が多く、地味な雰囲気の大会とはなっていますが
長く偉大な大会の歴史を感じながら試合の方追って行こうではありませんか。

因みに日本人としてはダニエル太郎が出場しており、初戦はヤノヴィッツと対戦します。
ヤノヴィッツはすっかりオワコン選手としてお馴染みですので
ダニエル太郎としてはここで瞬殺でもして一花咲かせたいところです。

またドイツの大会ですので地元選手は多いです。
ドイツの英雄コールシュライバー氏がエントリーしています。
ノーシードでエントリーしています。
この大きくない大会でノーシードとは。奥ゆかしい。

それと個人的にはナダル級の低調を重ねているグルビスに少し頑張ってほしいです。


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テーマ:テニス - ジャンル:スポーツ

  1. 2015/07/27(月) 15:32:08|
  2. 2015年7月~9月
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5
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コメント

あれ、おかしいな。

ダニエル太郎とコールシュライバー氏とグルビスが・・・初戦で消えている。
私、また負を呼び戻す体質に戻っちゃったんでしょうか。

で、でもナダルは勝ってるし(震え声)

  1. URL |
  2. 2015/07/29(水) 08:54:34 |
  3. Au-Saga #3/VKSDZ2
  4. [ 編集]

管理人様のフラグ建築技術が戻って来られたのですか?笑

そういえばグルビス、元々のコンパクトフォアからまるで羽ばたくんじゃないかと思うくらい面白いフォアに変化してから一時成績は割とよかったはずなのに・・・。
フォアに苦手意識があるとは思えませんが、チャンスボールなどなど時折バックに回りこむのが気になって仕方がありませんでした。確かに正面近くは両手バックで処理したほうが楽なのも分かりますが。

プロ生活に入ってから大きく打ち方を変えるのって、ある意味すごい勇気だなぁと。ナダルも最初期からサーブのフォームがコロコロ変わって、それでも勝ててしまうのかと(個人的には2010年USオープンの頃が一番よかったと思っています)。
ジョコビッチも2011年からサーブのフォームは変わっていないように感じますが、2010年までは結構毎年変わってた感じがします。
  1. URL |
  2. 2015/07/29(水) 19:05:28 |
  3. TOTO #-
  4. [ 編集]

フォーム

TOTO様の言うとおり、プロのすごさってそこにありますよね!テニスに限らず。
変えても落ちないどころか、うまくなっていく。。。
今まで慣れていたものを捨てて、調子を落とさないでいられるのってすごいですよね~

ナダルのサーブは楽勝と思っていたのに、急に怖くなった時期を覚えています。
錦織もツアーに出だした時のサーブは、TVで見る限り(実物を見たら違うと思いますが)
「プロ?」というところからものすごく進化しました。
フェデラーのプロになりたての頃のサーブのフォームを見た時にも驚きました。
当時と比べると、今はイナバウアーです。(あくまで比較の話)

ところで、グルビスってコンパクトフォームだったんですか?映像探してみようっと。
羽ばたきフォアしか見たことがなかったので、スクールに行ったら怒られそうなフォームだなと思って見ていました。
彼とトミックは精神面で成長できていたら、もっと上に行けていると思うんですけどね。
  1. URL |
  2. 2015/07/29(水) 22:34:05 |
  3. かめ #k0H9quHE
  4. [ 編集]

かめ様

グルビスのコンパクトフォアは確か2011年か2012年くらいまでだったかと思います。YouTubeに2009~2012年頃の練習動画があったのでよく見ていました。大学生の頃とか毎晩YouTubeで現役、既に引退した選手を問わず練習動画や試合動画を漁るように観ていたので少々フォームマニアのようになってしまいました。
当時ラケットをHEADからウィルソンに変えてすぐくらいまでの頃で、羽ばたく以前は今以上にバコバコ打ってエースとミスのオンパレードやってた記憶が(笑)。
今ではもう名前も上がらなくなってしまいましたが、グロージャンのフォアに近い感じがします。

ナダルがウィンブルドンで本格的に勝てるようになった2007年は、全仏を足を揃えないサーブのフォームで優勝してからウィンブルドンで急に足を揃えだして、たった2週間の間に何があったんだ?と驚愕したのを覚えています。それでフェデラーと決勝でフルセットまで持っていって改めて異質な選手だと思いましたね。
  1. URL |
  2. 2015/07/30(木) 00:13:50 |
  3. TOTO #-
  4. [ 編集]

皆様。コメントありがとうございます。

Au-Saga@フラグ建築士一級です。

話題になっているサーブのフォームですが
皆多かれ少なかれ試行錯誤を行っているのだと思いますが
時に大きく変化する例があります。

例えば昔のジョコビッチはもっと背中に負担がかかりそうなフォームで、
私も以前、背中の怪我が将来の不安になる可能性がある
というようなことを書いていた記憶があります。
今にして振り返ってみれば、全然平気でしたね。

当時はクーリエやヒューイットの印象があって、
少しでも無理のあるフォームで打つ選手は
皆怪我で伸び悩むもんだと思い込んでいた節があります。
ナダルとジョコビッチはそうした常識をも覆してくれました。

そのナダルも手打ちとまではいかなくても、以前は今と比べるとずいぶんと弱々しいサーブでした。
ウィンブルドンで勝つようになった頃からサーブを切り替えていったと記憶していますが
それでもしばらくはグラスコート限定のサーブであって、
クレーコートにおいてはそのサーブは使ってはいなかったと思います。
その後、ナダル時代になった頃にはクレーでも強いサーブが主体となってました。

それ以外にサーブの変化で私の印象に残っているのは
いつもながらの名前となってしまい恐縮なのですが、レンドルとアガシです。

レンドルは若いころはずいぶんとサーブのフォームをいじってました。
あの独特の高く上げるトスも、綺麗にそろえる足の運びも、
No.1になってから定着したのではなかったでしょうか。

アガシは若いころ、無理やり強く打って
スピードを出そうとそていたところがありました。
その後、無理のない打ち方でいながらサーブ速度も上がっていきましたが
フォームよりも無駄な力を抜くことを覚えていった面が強いでしょうか。

  1. URL |
  2. 2015/08/04(火) 09:37:45 |
  3. Au-Saga #3/VKSDZ2
  4. [ 編集]

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